難局控えて年内解散 秋口から模索、選択肢は三つ

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 永田町の大方が予想していなかった年内の解散・総選挙。この構想は秋口からひそかに温められてきたが、首相の安倍晋三は消費税率10%引き上げ先送りに対する政権内の抵抗を抑える意味でも、側近が示した三つの選択肢から「年内」を選んだ。長期政権へ布石を打ちつつ、来年の国会情勢、野党の攻勢と弱みを考え抜いたうえでの決断だった。(敬称略)

 暦の上では立冬だが、穏やかな陽気に包まれた11月7日夕、東京・永田町にある首相官邸の首相執務室には緊張感が漂っていた。首相の安倍は、やってきた自民党幹事長の谷垣禎一にこう告げた。

 「解散の時期を探らないといけない。年内を考えています」。安倍は、続いて面会した公明党代表山口那津男にも、年内解散の可能性を伝えた。

 アジア太平洋経済協力会議(APEC)出席など9日間の海外出張を2日後に控え、与党首脳の2人に年内解散を伝えるぎりぎりのタイミングだった。

 衆院の解散――首相が国民に信を問い、総選挙を勝ち抜くことで権力基盤を固める「伝家の宝刀」だ。安倍の盟友、財務相麻生太郎は、普段からこう進言していた。

 「吉田茂も、岸信介も勝てるときの選挙をやれずに後悔してますよ」。安倍の祖父・岸は1960年、日米安保条約の改定をめぐる安保闘争などで、解散できず退陣に追い込まれた。

 時機を逃せば、長期政権はかなわない――第1次政権で失言や不祥事を繰り返す閣僚をかばい、退陣の一因となった安倍は、第2次政権では周辺に「政治はモメンタム(勢い)だ」と繰り返している。